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福岡地方裁判所小倉支部 昭和57年(ワ)1516号 判決 1989年3月07日

原告 村上美知子

右訴訟代理人弁護士 横光幸雄

同 中尾晴一

被告 北九州市

右代表者市長 末吉興一

右訴訟代理人弁護士 山崎辰雄

被告 社団法人北九州市獣医師会

右代表者理事 中馬精二

右訴訟代理人弁護士 岡田基志

右訴訟復代理人弁護士 湯口義博

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金五五一万円及び内金三一七万円に対する昭和五七年一二月一〇日から、内金二三四万円に対する昭和六一年一一月一四日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  主文同旨

2  担保の提供を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者の地位

原告は、肩書住所地において、獣医師として門司犬猫病院を開業しているもの、被告北九州市は、狂犬病予防法に基づき、狂犬病予防注射業務及び手数料収納事務等の狂犬病予防注射の実施事務を行っているもの、被告社団法人北九州市獣医師会(以下「被告獣医師会」という)は、獣医学術の発達、普及等を目的とする社団法人である。

2  狂犬病予防注射業務等の実施方法

(一) 被告北九州市は、狂犬病予防法四条、五条、二三条等に基づき、かねてより狂犬病予防注射業務及び手数料(ア畜犬登録手数料 イ狂犬病予防注射料 ウ狂犬病予防注射済票交付手数料)収納事務(以下「狂犬病予防注射業務等」という)を実施してきた。

ところで、被告北九州市は、右業務等の実施に関し、被告獣医師会との間に委託契約(以下「本件契約」という)を締結し、各年度毎に畜犬一頭あたりの委託料を約定のうえ、同被告に実施頭数に応じた委託料の支払いをしてきた(たとえば、昭和五六年度においては、畜犬一頭あたりの委託料を金一四五〇円とし、四万五〇〇〇頭分を被告北九州市が同獣医師会に概算払いする旨の委託契約が締結されている。)。

(二) 被告獣医師会は、本件契約に基づき、獣医師会員の中から狂犬病予防注射業務等の受託業務の実施に必要な獣医師を選出したうえ、被告北九州市に対し、診療機関の所在地及び名称並びに獣医師の氏名を明記した獣医師名簿を提出し、その名簿に記載された獣医師により右業務等を実施しており、これに従事した獣医師に対して、同被告から支払われる委託料のうち相当額を年度毎に支給している。

3  原告の被告獣医師会への入会等

(一) 原告は、昭和五〇年八月ころ、被告獣医師会に入会するとともに北九州市内において獣医師としての活動を開始したが、入会当初は同被告内に存する三部会(1開業者部会、2給与者部会、3一般部会)のうちの開業者部会に所属していたので、同被告の実施する狂犬病予防注射業務等に参加する獣医師として選出されて、その業務に従事していた。

(二) ところが、原告は、昭和五四年春ころ開業者部会を退会し、一般部会の会員となって以来、同被告によって狂犬病予防注射業務等の実施に必要な獣医師の人選の対象から排除され、同年度春季以降右業務に従事することができない。

4  被告らの不法行為

(一) 被告獣医師会による狂犬病予防注射業務への参加拒否

(1) 被告獣医師会は、同北九州市から委託された狂犬病予防注射業務等を何ら総会の決議を経ることなく被告獣医師会会長の事務処理の一環として同被告内の一部会にすぎない開業者部会に一任し、同部会は、狂犬病予防委員会を設置し、同部会の会員が特にこれを辞退する意思を表明しないかぎり、同部会員に右業務を機械的に割り当て、手数料収納事務に関する犬の鑑札や注射済票を同部会員のみに預託・独占させ、狂犬病予防注射の実施頭数にかかわりなく、平等に毎年相当額の委託料を支給してきた。

そのため、原告は、開業者部会を退会以後、同部会員でないというただそれだけの理由で狂犬病予防注射業務等の実施に必要な獣医師に選出されなくなり、そのために右業務に従事できないのみならず、個別的に狂犬病予防注射を実施するに当たっても様々な不便を強いられ、ひいては顧客の信用を失墜せしめられるような事態に追い込まれている。

(2) 一方、開業者部会においては、同会に入会しようとする者に対し、同部会員で入会後三年を経過し、かつ休会中でない者二名を連帯保証人として添えて入会申込をしなければならず(同部会運営規定二条)、しかも、他の診療所から五〇〇メートル以内に新たに広告物を掲出したり、一キロメートル以内に既設の診療所が存在するときは相互に同意を得ることが望ましい(同規定一二条三項)との厳格な制限を加えており、既設の診療所の同意が得られない限り、同部会員二名の連帯保証人を得ることができず、同部会に入会することができないのが実態であり、同部会員は、新たな会員の入会を極力制限しつつ、その利益を独占している。

(二) 被告北九州市による同獣医師会の不法行為への加担

被告北九州市は、原告の再三にわたる是正の要求にもかかわらず、漫然と被告獣医師会との間に本件契約を締結したうえ、同被告が提出した右業務等の実施に必要な獣医師の名簿について何らの是正を行わなかっただけでなく、被告北九州市自ら集合注射の会場を準備、設営し、犬の飼い主に対し集合注射実施の日時・場所を知らせ、参加を呼びかける通知書を差し出し、その市政だよりにより広報するなど被告獣医師会と共同して狂犬病予防注射業務等の実施に当たっている。

(三) 被告らによる注射漏れ通知書の配布

被告らは、共同して、毎年春、秋各一回ずつ狂犬病予防注射(集合注射)を受けなかった犬の所有者に対し、その裏面に被告獣医師会の開業者部会員すなわち狂犬病予防注射業務に従事する獣医師名簿に記載された者のみを「犬の病院」として印刷し、原告の開設した門司犬猫病院を記載しない注射漏れ通知書(以下「本件注射漏れ通知書」という)を配布し、原告の信用を単に犬の所有者にとどまらず他の動物の所有者との関係でも甚だしく失墜させた。

5  被告らの行為の違法性及び責任

(一) 被告獣医師会の行為の違法性及び責任

(1) 被告獣医師会が受託した狂犬病予防注射業務等は、その実施による委託料収入が同被告の年次収入においてかなりの比重を占める点からも同被告の重要な事業の一つであり、同被告の定款二二条は各年度の事業計画の決定又は変更を総会の決議事項としているから、同被告が前記のように総会決議を経ることなく、同被告会長の事務処理の一環として右業務等を開業者部会に一任することは右定款の規定に違反するものである。

(2) 開業獣医師は私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独占禁止法」という)二条一項にいう事業者であり、被告獣医師会は開業獣医師等を構成員とする独占禁止法二条二項にいう事業者団体であるところ、同被告による前記のような狂犬病予防注射業務等の実施方法及び本件注射漏れ通知書の配布は、事業者団体である同被告が構成事業者である原告の機能及び活動を不当に制限するものであって、独占禁止法八条一項四号に該当する違法な行為であるのみならず、不合理な差別行為として公序良俗に違反する行為である。

(3) 被告獣医師会は、前記のような狂犬病予防注射業務等の実施方法及び本件注射漏れ通知書の配布が独占禁止法に違反する違法な行為であり、かつ不合理な差別として公序良俗に違反することを認識しつつ、あるいは過失によりこれを認識しないで、前記各行為をなし、原告に対し後記の損害を与えた。

(二) 被告北九州市の行為の違法性及び責任

前記のように、被告獣医師会の狂犬病予防注射業務等の実施方法(一部開業者部会員による犬の鑑札、注射済票の独占、集合注射への原告ら一般部会員の参加拒否)及び本件注射漏れ通知書の配布が独占禁止法八条一項四号に違反する違法行為であり、かつ不合理な差別として公序良俗に違反することが明らかであるから、被告北九州市は、同獣医師会による右業務等に参加する獣医師の選出方法を正し、あるいは被告北九州市自ら直接に狂犬病予防注射業務等を実施してその違法、不公正を正し、原告が同被告の実施する狂犬病予防注射業務等に参加できるようにするとともに、本件注射漏れ通知書の配布を取りやめるべきであったにもかかわらず、右各行為が違法であることを認識しつつ、あるいは過失によりこれを認識しないで、前記のとおり、漫然と同被告との間に本件契約を締結し、あるいは自ら犬の飼い主に対し集合注射への参加を呼びかける通知書を差し出すなど被告獣医師会と共同して集合注射の実施に当たるとともに、本件注射漏れ通知書の配布を継続しているのであって、かかる被告北九州市の行為は、客観的かつ積極的に被告獣医師会と共同して違法行為を行っているものとして共同不法行為の責任を免れることはできない。

6  原告の損害

(一) 逸失利益 金四五一万円

原告は、被告らの不法行為により、昭和五四年度春季以降、被告北九州市から同獣医師会に委託された狂犬病予防注射業務に全く従事することができず、そのため、毎年被告北九州市から同獣医師会に対して支払われ、会員各人に分配されるべき別紙(一)記載の委託料を昭和五四年度以降全く取得することができなかった。

(二) 慰謝料 金一〇〇万円

原告は、前記のとおり、被告らが狂犬病予防注射(集合注射)を受けなかった犬の所有者に配布した本件注射漏れ通知書に原告の開設する病院名をことさらに記載しなかったことにより、畜犬の所有者等に不信感を抱かれ、営業活動に重大な障害をきたすとともに計り知れない精神的苦痛を加えられた。

これらの精神的苦痛は到底金銭に代えがたいものであるが、敢えてこれを金銭的に評価するならば、少なくとも金一〇〇万円は下らない。

7  よって、原告は、被告らに対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、各自金五五一万円及び内金三一七万円(昭和五四年度から昭和五七年度までの間の前記逸失利益と前記慰謝料の合計額)に対する訴状送達の日の翌日である昭和五七年一二月一〇日から、内金二三四万円(昭和五八年度から昭和六一年度までの間の前記逸失利益の合計額)に対する弁済期の経過した後である昭和六一年一一月一四日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

(被告獣医師会)

1 請求原因1ないし3の各事実はいずれも認める。

2 同4の事実について、(一)の(1)のうち、被告獣医師会が狂犬病予防注射業務等を同被告の一部会である開業者部会に一任し、開業者部会においては、狂犬病予防委員会を設置し、同部会の会員が特にこれを辞退する意思を表明しないかぎり、同部会員に右業務を機械的に割り当て、手数料収納事務に関する犬の鑑札や注射済票を預託し、狂犬病予防注射の実施頭数にかかわりなく、平等に毎年相当額の委託料を支給してきたこと、同部会員でない原告は、狂犬病予防注射業務に参加する獣医師として選出されず、右業務に従事していないことは認め、その余は否認する。(一)の(2)のうち、開業者部会運営規定では、同会に入会しようとする者は、同部会員で入会後三年を経過し、かつ休会中でない者二名を連帯保証人として添えて入会申込をしなければならず、しかも、他の診療所から五〇〇メートル以内に新たに広告物を掲出したり、一キロメートル以内に既設の診療所が存在するときは相互に同意をとることが望ましいとされていることは認め、その余は否認する。(三)のうち、本件注射漏れ通知書が、毎年春、秋各一回ずつ狂犬病予防注射(集合注射)を受けなかった犬の所有者に対し配布されていることは認め、その余は否認する。

3 同5の(一)の事実について、(1)のうち、狂犬病予防注射業務等が被告獣医師会の行う事業の一つであること、同被告の定款では事業計画の決定又は変更を総会の決議事項としていることは認め、その余は争う。(2)は争う。(3)は否認する。

4 同6の事実は否認する。

(被告北九州市)

1 請求原因1及び2の各事実は認める。

2 同3の事実について、(一)のうち、被告獣医師会に開業者部会、給与者部会及び一般部会の三部会があることは認め、その余は知らない。(二)は知らない。

3 同4の事実について、(一)は知らない。(二)のうち、被告北九州市が、同獣医師会との間に本件契約を締結し、集合注射の会場を準備、設営し、犬の飼い主に対し集合注射実施の日時・場所を知らせ、参加を呼びかける通知書を差し出し、その市政だよりにより広報していることは認め、その余は否認する。(三)のうち、被告北九州市が同獣医師会と共同して本件注射漏れ通知書を配布したとする点は否認し、その余は知らない。

4 同5の事実について、(一)のうち、(1)は知らない。(2)は争う。(3)は否認する。(二)は否認する。

5 同6の事実は知らない。

三  被告らの主張

(被告獣医師会)

1 独占禁止法と民事上の責任

独占禁止法は、公正取引委員会による指導・監督・排除措置等により、同法の想定する秩序が維持・運営されるように構成されているのであって、同委員会の是正勧告等の指導がない本件においては、被告獣医師会の行為が公序良俗違反の行為であり、民法七〇九条により損害賠償請求権が発生するとまではいえない。

2 被告獣医師会と独占禁止法上の事業者団体性

被告獣医師会は、その専門性及び公共性を考えると、独占禁止法上の事業者団体ではないと解すべきである。

3 被告獣医師会の行為の正当性及び合理性

被告北九州市から委託を受けた狂犬病予防注射業務等の実施を同獣医師会内の開業者部会に一任し、同部会が右業務等の実質的な実施主体となり、同部会所属の開業獣医師をもって右業務の実施に当たるという同被告の取扱は、次の事情があるから、これをもって、事業者団体である同被告が構成事業者である原告の機能又は活動を不当に制限したということはできないし、不合理な差別であるともいうことができない。

(一) 被告獣医師会の定款では、1開業者部会は、正会員で診療所を開設している者(従たる者を含む)を構成員とする、2給与者部会は、正会員で北九州市役所勤務者である者を構成員とする、3一般部会は、1又は2の部会に属さない者を構成員とするとされていること。

(二) 被告獣医師会は、開業獣医師(開業者部会に所属する者)が中心となって五〇名にのぼる北九州市職員(給与者部会に所属する者)とともに運動した結果、福岡県獣医師会から独立して日本獣医師会地方会として承認されるに至ったものであり、一方、一般部会は、開業者部会及び給与者部会の二部会のいずれにも所属していない研究者の獣医師会誌の取寄、研究会・講習会の通知等の便宜や獣医師会活動への一般的な賛助者の加入奨励を図る目的で設立された部会に過ぎないこと。

(三) 被告獣医師会は、開業者部会の会員である獣医師のみが入会に際しての負担金・入会金を支払い、通常の会費についても他部会に比して多額の年会費を支払うことによってはじめて会館維持その他の事務運営の円滑化が可能となっていること。

(四) 前記のような被告獣医師会の定款の規定の趣旨、活動状況からして、診療所を開設している開業獣医師は開業者部会に所属するのが本則であり、一般部会は、開業獣医師でない者(例えば、薬品会社に勤務する会社員)が同被告の活動に賛助するとの趣旨で加入する部会として開設されているに過ぎないものであることから、同被告としても、開業獣医師に対して、従来より開業者部会への加入を指導助言しているのであって、仮に開業獣医師が一般部会に所属していたとしても、それは、開業獣医師としてではなく、被告獣医師会の活動の趣旨に賛同する者として同被告の会員となっているに過ぎないと考えられること。

(五) 開業者部会は、同部会員全員が開業獣医師であり、しかも、同部会内には集合注射実施のための実施方法の打合せ、実施要領の研修等の事前準備のために狂犬病予防委員会が設けられているのに対し、一般部会は、昭和六三年四月一六日現在の同部会員九名のうち開業獣医師は原告を含めて三名に過ぎず、他は主として公共団体等の勤務者・研究者であり、同部会の設立目的が前記のとおりのものであることから、何らの活動もしておらず、活動にあたっての規約・規則等もなく、また、会費も昭和六二年度で一万九〇〇〇円と低額に押さえられていること。

(六) 昭和二五年一〇月五日厚生省発衛第一七〇号各都道府県知事・各政令市市長宛・厚生事務次官通知によれば、「狂犬病予防法第五条による予防注射は原則として開業獣医師に行わせること」とされているところ、狂犬病予防注射業務等を実施するには、集合注射実施のための事前準備が必要であり、そのためには開業獣医師が団体として行動する必要性があるのであって、被告獣医師会において、開業獣医師の集合体としての機能を有している団体は開業者部会であること。

(七) 開業者部会に所属していない獣医師に対しても、個別的に狂犬病予防注射を実施する機会(個々注射の機会)は確保されているうえ、被告獣医師会としては、原告が保証人・入会金その他所定の要件を具備するならば、いつでも開業者部会に受け入れる旨表明しているのであって、原告には開業者部会への参加ひいては狂犬病予防注射業務等への参加の機会が保障されているといえること。

(被告北九州市)

1 被告獣医師会と独占禁止法上の事業者団体性

被告獣医師会が独占禁止法上の事業者団体性を有するか否かの判断は、実態に即して具体的になす必要があり、同被告の場合、1専門性(一定の資格を前提とし、極めて非代替的な性格が強いこと)、2公共性(狂犬病予防というような公共的な色彩の強い、いわば公衆衛生的な性格を非常に強く持つ事業を行っていること)、3企業性(獣医師には市場経済システムの中で公正かつ自由な競争をするという企業的性格が極めて薄いこと)、4競争制限的要素(獣医師の活動には競争制限的要素が少ないこと)の四点から、その事業者団体性については消極に解するべきである。

したがって、同被告が実施する狂犬病予防注射の集合注射に独占禁止法違反の問題が生ずる余地はない。

2 狂犬病予防注射業務の公共事務性

狂犬病予防法五条に基づく定期予防注射業務は、地方公共団体である被告北九州市が非常に危険な病気の一つである狂犬病の流行を防止するために実施する地方自治法二条三項一号に該当する公共事務であり、営利目的の経済的事業でないから、被告獣医師会が被告北九州市から右業務の委託を受けて集合注射を実施することも独占禁止法の「事業」にあたらない。

3 本件契約と被告北九州市の責任

仮に被告獣医師会が狂犬病予防注射業務等に参加する獣医師の選出方法に問題があり、それが独占禁止法に違反するとしても、同被告に所属する開業獣医師のうち誰が集合注射に参加するか否かの問題は、あくまで同被告内部の問題である。すなわち、被告北九州市、同獣医師会との間に締結されている本件契約の法的性質は準委任であり、被告獣医師会がその受託業務として集合注射を実施するに当たり、これに参加する獣医師を選出することは、同被告の裁量の範囲内のことであり、また、被告北九州市は本件契約に基づき、同獣医師会に対し集合注射に参加する獣医師の名簿の提出を求めることができるものの、その目的は委託料算定の基礎になる集合注射業務に従事する獣医師を特定するためのものに過ぎないのであって、被告北九州市には集合注射に参加する個々の獣医師の選出について関与・是正すべき何らの権限も義務もないから、同被告に不法行為はない。

4 被告北九州市が採りうる是正措置の限界

被告北九州市は、公正取引委員会のように強権的に右行為を是正しうる権限がなく、また、狂犬病予防注射業務を被告獣医師会に委託しないで、同被告自ら直接にこれを実施するには、現状では獣医師の資格を有する職員が不足しており、また、獣医師の資格を有する職員を大量に確保することになれば多額の財政的負担が生ずること、前記厚生事務次官通知「狂犬病予防法の施行について」によれば、集合注射を原則とする狂犬病予防法五条の規定による予防注射は原則として開業獣医師に行わせることとされているため、同被告が狂犬病予防注射業務を恒常的に実施することはできないこと、しかも、被告獣医師会以外には狂犬病予防注射業務を委託し得る団体はないことから、本件契約に関しては被告獣医師会の方が優位な立場にあり、その行為に対し是正措置を講ずるためには極めて大きな制約を負っている。

したがって、仮に被告獣医師会の行為が独占禁止法に違反するとしても、被告北九州市としては、右制約を負っている以上被告獣医師会に対し、集合注射の参加問題について是正を促す旨の申し入れをしたことにより同被告の責任は十分に果たされたというべきであるから、実際にはその是正について合意が得られず、是正措置が講じられなかったとしても、被告北九州市に責任が生ずることはない。

5 犬の鑑札及び注射済票の預託

仮に被告獣医師会が開業者部会所属の開業獣医師に対してのみ犬の鑑札及び注射済票を預託しており、それが独占禁止法に違反するとしても、被告北九州市は、前記厚生事務次官通知「狂犬病予防法の施行について」に基づき、犬の所有者の便宜を図る目的で、本件契約により、被告獣医師会に対し犬の鑑札及び注射済票を預託しているに過ぎず、同被告がこれらを誰に預託するかは同被告内部の問題であり、被告北九州市とは関係がない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1(当事者の地位)及び同2(狂犬病予防注射業務等の実施方法)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  請求原因3(原告の被告獣医師会への入会等)の事実のうち、被告獣医師会に開業者部会、給与者部会及び一般部会の三部会があることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告は、昭和五〇年七月ころ、被告獣医師会に入会するとともに北九州市内において獣医師として活動を開始し、入会当初は開業者部会に所属しており、同被告が被告北九州市から受託した狂犬病予防注射業務についても、これに参加する獣医師として選出されて従事していたこと、昭和五四年春ころ開業者部会を退会し、一般部会の会員となったが、それ以降、狂犬病予防注射業務等の実施に必要な獣医師の人選の対象から排除され、同年度春季以降の狂犬病予防注射業務に参加することができなかったことが認められる(右各事実は原告と被告獣医師会との間においては争いがない。)。

更に、《証拠省略》によれば、原告は、昭和五〇年七月ころ、開業者部会に入会したものの、同部会の会議等に欠席あるいは遅刻することが多かったことなどから、同部会員間に原告に対する不満が募っていたこと、昭和五四年当時の同部会運営規定では、既設の診療所から二キロメートル以内に診療所を開業するときは、至近距離にある二名の同部会員の同意を得ることが必要であるとされており(ただし、右規定は、昭和五五年一月公正取引委員会から独占禁止法違反の疑いがあるとして改善するよう指導をうけたことから、その後、後記のとおり改正された。)、原告は、当時の被告獣医師会長兼開業者部会長である村上徹からも再三にわたり、診療所の移転に際しては事前に移転先の近隣の開業者部会員を訪ねてその旨を説明し、了解を得られるようにしておいたほうがよいと助言されていたにもかかわらず、昭和五四年春の診療所の移転に際して近隣の同部会員を訪ねようとせず、結局、移転先の診療所の二キロメートル以内に既設の診療所を有する同部会員二名のうち一名の同意を得ることができなかったこと、その後、同部会員から開業者部会の総務委員長宛に原告の行為は会則違反ではないかとの抗議がなされ、これを受けて開催された役員会でも、原告のこれまでの態度等に対する不満もあって、原告を除名にしてはどうかとの話となったため、前記村上会長が原告と話し合うことにより、右問題の解決を図ることになったこと、原告は、同年三月一日、前記村上会長方において、同人と話し合った際、同人から、「除名処分をうけることは原告にとって不名誉であるから、自ら退会するほうがよい。狂犬病予防注射の集合注射は開業者部会事業として実施しているので、退会すると、これには参加できないが、個々注射は獣医師の権利としてできる。」などと退会を勧められたことから、これを了承し、同月二日、同被告に対し開業者部会を一身上の都合により退会する旨の届出をなし、同年四月二日に同被告の総会においてその旨承認されたこと、同被告のこれまでの取扱いでは、開業者部会を退会するということは、同時に同被告の会員としての地位も失うことになるのであるが、原告の場合は、前記村上会長及び役員会の配慮により、同被告を退会したものとはしないで、開業者部会から一般部会への編入という特殊な措置がとられたため、以後、原告は、同被告の正会員としての地位はそのままで、一般部会に所属することとなったことが認められる。

三  被告獣医師会による狂犬病予防注射業務への参加拒否について

1  《証拠省略》によれば、被告獣医師会が同北九州市から受託した狂犬病予防業務等を同被告内の一部会である開業者部会に一任し、同部会において、狂犬病予防委員会を設置し、同部会員が特にこれを辞退する意思を表明しないかぎり、同部会員に対し、右業務を機械的に割り当てるとともに、手数料収納事務に関する犬の鑑札や注射済票を預託し、狂犬病予防注射の実施頭数にかかわりなく、平等に毎年相当額の委託料を支給してきたこと、その結果、開業者部会員でない原告は狂犬病予防注射業務等の実施に必要な獣医師に選出されず、右業務に従事できないことが認められる(右各事実は、原告と被告獣医師会との間においては争いがない。)。

2  定款違反の主張について

原告は、被告獣医師会が受託した狂犬病予防注射業務等は、同被告の重要な事業の一つであり、同被告が総会決議を経ることなく、同被告会長の事務処理の一環として右業務等を開業者部会に一任することは同被告の定款に違反すると主張するので、この点について判断する。

《証拠省略》によれば、被告獣医師会の定款では、事業計画の決定又は変更が総会の決議事項とされている(右事実は原告と被告獣医師会との間においては争いがない。)ところ、毎年開催される被告獣医師会の通常総会において、狂犬病予防注射事業の推進あるいは狂犬病予防注射に関する行政への協力(1集合注射の委託及び実施体制の強化、2注射洩れ防止対策の推進)等の事業計画案について審議のうえ、承認議決がなされていることが認められ、右事実からすると狂犬病予防注射業務等に関する事業計画は毎年総会の決議を経ているものと推認することができること、他方、《証拠省略》によれば、同被告の定款では、理事が理事会を構成して、業務の運営に関する基本方針等を審議議決して会務の執行を決定し、会長が会を代表してその業務を総理するとされているだけで、同被告の業務の一つに過ぎない狂犬病予防注射業務等の実施方法について総会の決議が必要とはされていないことが認められ、これらの事実に照らすと、同被告の前記のような取扱いがその定款に違反するものということができないことは明らかであるから、原告の右主張は理由がない。

3  独占禁止法違反及び公序良俗違反の主張について

(一)  独占禁止法と民事上の責任について

被告獣医師会は、独占禁止法は公正取引委員会による指導・監督・排除措置等により競争秩序が維持されることを予定しているのであって、同被告の前記行為に対し公正取引委員会による是正勧告等の指導がなされていない本件においては、同被告の行為が不法行為に該当するということはできず、原告は同被告に対し、民法七〇九条に基づき損害賠償を請求することができないと主張する。

しかしながら、独占禁止法は、公正取引委員会に対して専ら公益保護の立場から同法違反の状態を是正する権限を与えているのであって、違法行為による被害者の個人的救済をはかることを目的として右権限を与えているものではないから、当該違法行為に対し公正取引委員会による是正勧告等の指導がなされていないからといって、同行為が不法行為に該当しないということはできない。したがって、独占禁止法違反の行為によって自己の法的権利を侵害された者は、右行為に対し公正取引委員会による審決あるいは指導等がない場合においても、民法七〇九条の一般不法行為の要件を主張・立証することにより違反行為をなした事業者団体等に対し損害賠償請求をなすことができるものというべきであるから、同被告の右主張は採用することができない。

(二)  被告獣医師会と独占禁止法上の事業者団体性について

被告らは、被告獣医師会が専門性及び公共性を有することなどを理由に同被告は独占禁止法にいう事業者団体に該当しないと主張するので、この点について判断する。

(1) 独占禁止法二条一項の規定する「その他の事業を行う者」とは、市場経済における公正かつ自由な競争秩序の維持・確保という独占禁止法の目的に照らし、物資、役務その他の経済的利益を供給し、これに対する反対給付として何らかの経済的利益を反覆継続して受ける経済活動を行う者をいうところ、専門性、公共性を有する役務の提供を行う者であっても、その役務の提供が右の経済活動にあたり、さらに他の者との間に役務の質と価格をめぐる競争が生じる以上、右事業者に含まれるものと解される。

これを、本件についてみるに、開業獣医師は狂犬病予防注射を含む各種予防注射や動物に対する診療・治療などの獣医療サービスを対価を得て供給する事業に従事しており、その間に市場経済を前提とした獣医療サービスの質と価格をめぐる競争が存在する(当裁判所に顕著な事実である。)のであるから、開業獣医師の営む獣医療事業が一定の資格を前提とし、その中に狂犬病予防注射業務のように公共的な性格を有する事業が含まれているとしても、そのことだけでただちに開業獣医師の事業者性が否定され、独占禁止法の適用が排除されると解すべきではなく、開業獣医師は独占禁止法にいう事業者に該当するというべきである。

(2) 次に、被告獣医師会の事業者団体性について検討する。

前記認定事実並びに《証拠省略》によれば、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ア 被告獣医師会は、北九州市小倉北区に事務所を置き、北九州市を会の区域とし、同市内に診療施設又は勤務先を有する獣医師を正会員、右以外の者であって同被告の主旨に賛同する個人又は団体を賛助会員、獣医学術及び獣医事に貢献のあった者であって総会において推薦された者を名誉会員とし、獣医学術の発達普及と獣医師業務の公正な発展を図ることにより、畜産の発達と公衆衛生に寄与するとともに、会員の社会的文化的向上を期することを目的として、昭和五五年に福岡県獣医師会北九州支部が独立し、日本獣医師会から北九州地方会として承認された社団法人である。

イ 同被告は、1正会員で診療所を開設している者(従たる者を含む)を構成員とする開業者部会、2正会員で北九州市役所勤務者である者を構成員とする給与者部会、3正会員で1及び2の部会にいずれにも属さない者を構成員とする一般部会の三部会制をとっており、同被告の部会別会員数の推移は別紙(二)記載のとおりである。

ウ 同被告は、総会のほか、理事会を置き、理事会においては、業務の運営に関する基本方針等を審議議決して、会務の執行を決定している。

エ 同被告は、前記目的を達成するために、1家畜衛生並びに公衆衛生の向上に関する事業、2獣医畜産教育の発達普及に関する事業、3獣医畜産学術の振興普及並びに調査研究に関する事業、4獣医技術者の教養及び技能の向上に関する事業、5獣医師道の振作昂揚に関する事業、6獣医業の経営発展に関する事業、7獣医師の新睦、福祉及び厚生に関する事業等を行っている。

オ 同被告は、被告北九州市との間に本件契約を締結し、右業務の実施(集合注射及び個々注射を含む。)を被告獣医師会内の一部会である開業者部会の会員に担当させ、被告北九州市から預託されている犬の鑑札や注射済票を預けるとともに、同被告から支払われる委託料の中から毎年相当額を支給するなど開業獣医師の事業活動に密接に関連する業務を行うほか、会員に対し、獣医師会雑誌等の定期刊行物を配布し、日本獣医師会等の主催する講習会及び学会に関する事項を通知連絡するなどして獣医師関係の知識・情報を伝達するとともに、獣医師会館に獣医師関係の学術専門書、レントゲン等の医療器具、手術設備を備え、会員の利用に供することなどにより、開業獣医師である会員に対し、業務上必要な便宜を供与している。

これらの事実及び前記(1)で認定した事実からすると、被告獣医師会は、開業獣医師の事業者としての共通の利益を増進することを主たる目的とする開業獣医師らの結合体であり、独占禁止法にいう事業者団体に該当するというべきである。

(三)  狂犬病予防注射業務の公共事務性について

被告北九州市は、狂犬病予防法五条に基づく定期予防注射業務は地方公共団体である同被告が実施する地方自治法二条三項一号に該当する公共事務であり、営利目的の経済事業でないから、被告獣医師会が被告北九州市から右業務の委託を受けて集合注射を実施することが、独占禁止法違反となることはないと主張するので、この点について判断する。

地方公共団体は、地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持するための事務(公共事務)を行うことをその本来の目的とするので、被告北九州市が狂犬病流行の予防対策として狂犬病予防法五条の規定による予防注射(通常措置としての狂犬病の定期予防注射)を実施することは右公共事務に属するものであり、営利目的の事業でないことは多言を要するまでもない。

しかしながら、独占禁止法にいう事業とは、前記のとおり、経済的利益の供給に対する反対給付を反復継続して受ける経済活動をいい、営利を直接の目的とすると否とを問わないというべきであるところ、狂犬病予防注射業務も対価を得てなされる経済活動であるから、地方公共団体の公共事務として実施され、営利を目的としないということのみによって、右業務が事業性を失うものではない。したがって、被告北九州市の主張は採用することができない。

(四)  被告獣医師会の行為の不当性等について

(1) 原告は、被告獣医師会による前記のような狂犬病予防注射業務等の実施方法は、独占禁止法八条一項四号に該当する違法な行為であり、かつ不合理な差別として公序良俗に違反する行為であると主張し、被告らはこれを争っているので、この点について判断する。

前記認定事実並びに《証拠省略》によれば、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ア 被告獣医師会は、福岡県獣医師会北九州支部として活動を始めた当初は開業者だけを会員とする小さな組織であったものが、昭和四九年には社団法人となり、その後開業獣医師が中心となって五〇名余りの北九州市役所勤務者とともに運動した結果、昭和五五年三月福岡県獣医師会から独立して日本獣医師会地方会として承認されるに至ったものであり、一方、一般部会は、同被告が社団法人をなるに際し、数名の会員が民間企業の勤務者であり、開業者部会及び給与者部会に所属することができなかったことから、これら開業獣医師及び北九州市役所勤務者以外の者のために、獣医師会雑誌の配布・取寄、学会・講習会の通知連絡等の便宜を図ることを目的として設置されたものであること。

イ 同被告の定款では、1開業者部会は正会員で診療所を開設している開業獣医師を構成員とする、2給与者部会は正会員で北九州市役所勤務者である者を構成員とする、3一般部会は正会員で1及び2のいずれにも属さない者を構成員とすると定められていること。

ウ 開業者部会では、同部会会則及び運営規定に定め、会員相互の親睦並びに学術、技術を錬磨し、品位向上を図り、社会的、文化的向上を期すという同部会の目的を達成するために、1狂犬病予防注射業務、2学術研究及び講習会、3関係官庁その他必要な方面に対する建議、請願、陳情及び関係行政に対する協力、4業界振興に必要な諸事業、5親睦会等の事業を行うものとし、総会のほか、総務、学術研究、狂犬病予防、厚生の各委員会、部会長、副部会長、委員長四名、会計で構成される役員会を置き、部会長が同部会を代表して会務を統括することとされていること。

エ 被告獣医師会では、開業者部会が中心となって活動しており、獣医師会館も同部会員によって利用されることが多く、同会館に備えられている獣医師関係の学術専門書、レントゲン等の医療器具、手術設備も主に開業者部会員のために購入され、その使用に供されていることなどから、同部会員のみが入会に際して、入会金として一〇万円、負担金として五〇万円を納入し、通常の会費についても別紙(三)記載のとおり他部会の会員に比して多額の年会費を納入しており、これによって同被告の会館等の維持・運営その他の事務運営の円滑化が図られていること。

オ 開業者部会では、被告獣医師会が昭和五三年三月、土地取得費、建物建設費、設備購入費等として約九〇〇〇万円を費やして獣医師会館を新築したことから、同部会の右活動状況等に鑑み、この建設費用を同部会員のみで分担することとし、当時会員であった者については会費の負担増と寄付金により、その後の新入会員については入会に際しての負担金の名目でこれを徴収することとされたこと。

カ 前記のような被告獣医師会の定款の趣旨、一般部会設置の理由、開業者部会の活動状況からみると、診療所を開設している開業獣医師は開業者部会に所属し、一般部会は開業獣医師でない者が所属するのが原則であることから、同被告としても、従来から開業獣医師は開業者部会に入会するように指導助言していること。

キ 開業者部会の運営規定には、狂犬病予防注射業務に関する契約は被告獣医師会長と同部会長がこれを行うものとすること、狂犬病予防注射に関する行政機関との連絡及び狂犬病予防注射業務の企画、人員の適正配置の検討を行う機関として同部会内に狂犬病予防委員会を設けること、同委員会は集合注射業務として、1集合注射前に動物管理センターとの日程、会場等の打合せ、2参加会員出務の時間的平等分配、3臨時職員、タクシーの調整、4注射実施機材の整備調達を行うものとすることその他狂犬病予防注射業務の実施に必要な事項が規定されていること。

ク 開業者部会は部会員全員が開業獣医師であり、狂犬病予防注射業務等の実施のための機関として狂犬病予防委員会を設置しているのに対し、一般部会は、別紙(二)記載のとおり、会員数が少なく、しかも、その多くが開業獣医師以外の者であり、前記目的のため設立された部会であることから、何らの活動もしておらず、活動にあたっての規約・規則等もなく、会費も別紙(三)記載のとおり開業者部会員に比し低額であること。

ケ 昭和二五年一〇月五日厚生省発衛第一七〇号各都道府県知事・各政令市市長宛・厚生事務次官通知によれば、「狂犬病予防法第五条による予防注射(通常措置としての定期予防注射)は原則として開業獣医師に行わせること」とされていること、狂犬病予防注射業務等特に集合注射を実施するためには、実施方法の打合せ、実施要領の研修等の事前準備が必要であり、そのためには開業者が一の団体として機動的に行動する必要があるところ、被告獣医師会において開業獣医師の集合体としての機能を有しているのは開業者部会以外にはないこと。

コ 被告獣医師会は、同北九州市との間に本件契約を締結し、これにより狂犬病予防注射の実施のほか、注射ワクチン購入、臨時職員の雇用等の注射準備業務及び注射機材の運搬、注射会場の設営等の注射実施関連業務を分担するものの、その実施は開業者部会に一任することから、同被告会長が右業務に参加する獣医師名簿を同市に提出することのほかは、右業務の実施に関与しておらず、同市から支払われる委託料についても、一応被告獣医師会がこれを受領するが、その会計処理は同部会が行い、同被告には同部会から賦課金として委託料の一定割合の金員が納められるに過ぎないこと。

サ 被告北九州市が同獣医師会に手数料収納事務に関する犬の鑑札及び注射済票を預託しているのは、右契約により、狂犬病予防注射業務等に参加する獣医師は、集合注射に参加するほか、その受託業務の一環として個々注射を実施することとされており、各獣医師が右業務の実施に際し受領した手数料・予防注射料はすべて同市の財政に組入れられ、改めて同市から被告獣医師会に対し個々注射の実施頭数に応じた委託料が支払われる旨約定されていることに基づくものであって、被告獣医師会としては、右業務に参加していない開業獣医師すなわち、個々注射を実施した場合の収入がすべて自己のものとなる開業獣医師に対し、犬の鑑札及び注射済票を預託することは困難であること。

シ 被告獣医師会の受託業務である狂犬病予防注射業務等に参加することのできない開業獣医師であっても、個々注射として狂犬病予防注射を実施する機会は確保されているうえ、同被告としては、原告に対し、保証人・入会金その他開業者部会に入会するについて必要とされている要件を具備するならば、いつでも原告を同部会に受け入れる旨表明するとともに、開業者部会への入会を指導・勧誘しているが、原告は、一般部会員の開業獣医師にも右狂犬病予防注射業務等に参加する機会を与えるように要求するのみで、これに応じようとしなかったこと。

(2) 以上の事実に照らすと、被告獣医師会が同北九州市から受託した狂犬病予防注射業務等の実施を開業者部会に一任し、犬の鑑札及び注射済票を同部会員に預託したことには合理的な理由があり、しかも、原告には、開業者部会に入会することによって右業務等に参加する機会が確保されていたものと認められるから、同被告の右行為をもって、同被告がその構成事業者である原告の機能又は活動を「不当に」すなわち、正当な理由なく事業者間の自由かつ公正な競争を阻害するおそれのある態様・方法で制限したとはいえず、また、不合理な差別として公序良俗に違反するということもできない。

なお、《証拠省略》によれば、開業者部会では、同部会運営規定(昭和五五年一月公正取引委員会の指導により改善された後の規定)により、同会に入会しようとする者は、同部会員で入会後三年を経過し、かつ休会中でない者二名を連帯保証人として添えて入会申込をしなければならず、しかも、他の診療所から五〇〇メートル以内に新たに広告物を掲示したり、一キロメートル以内に既設の診療所が存在するときは相互に同意を得ることが望ましいとされていることが認められ(右事実は原告と被告獣医師会との間においては争いがない。)、原告は、これをもって原告の右主張を裏付ける事情として主張しているけれども、原告は開業者部会への入会を希望せず、一般部会員のまま狂犬病予防注射業務に参加させるように要求しているのであって、開業者部会への新たな会員の入会が不当に制限されているか否かは、被告獣医師会の狂犬病予防注射業務等の実施方法の合理性あるいは正当性に関する右判断に影響を与えるものではない。

以上の次第であるから、被告獣医師会の前記方法による狂犬病予防注射業務等の実施が独占禁止法八条一項四号に該当する違法な行為であり、かつ公序良俗に違反する行為であるとする原告の主張はいずれも採用することができない。

(3) 以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、被告獣医師会の前記のような狂犬病予防注射業務等の実施方法が独占禁止法八条一項四号に該当する違法な行為であり、公序良俗に違反する行為であることを前提とする原告の被告らに対する請求はいずれも理由がない。

四  本件注射漏れ通知書の配布について

(1)  《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる(本件注射漏れ通知書が毎年春、秋各一回ずつ狂犬病予防注射(集合注射)を受けなかった犬の所有者に対し配布されていることは、原告と被告獣医師会との間においては争いがない。)。

(一)  本件注射漏れ通知書は、昭和五九年までは毎年春、秋各一回ずつ、昭和六〇年からは、同年一〇月一日に狂犬病予防法五条が改正され、従来、犬の所有者等は六箇月ごとにその犬に狂犬病予防注射を受けさせなければならないとされていたのが、毎年一回でよいことになったことに伴い、集合注射の実施も従来の春と秋の年二回から年一回に変更になったため、毎年一回ずつ、狂犬病予防集合注射を受けなかった犬の所有者に対し、郵送により配布されていたこと。

(二)  本件注射漏れ通知書は、その表面に名宛人の飼い犬が狂犬病予防集合注射を受けていないので、早急に裏面の「犬の病院」で済ませるように通知する旨の記載とともに、被告獣医師会、同北九州市動物管理センター及び同市各保健所公衆衛生課が発信人であるかのような記載があり、その裏面には被告獣医師会の開業者部会員の開設する診療所のみが「犬の病院」として記載され、原告の開設する門司犬猫病院は記載されていないこと。

(三)  本件注射漏れ通知書は、昭和五七年五月ころ、開業獣医師で被告獣医師会の一般会員である原告らが被告北九州市動物管理センター所長光井朋之に対し、右通知書に原告らが「犬の病院」として記載されていない理由を尋ねるとともにその改善を申し入れたため、同所長が被告獣医師会に同市が右通知書の発信人でないことを明確にするように申し入れたことから、同年秋以降は、その表面に同市動物管理センターと同市各保健所公衆衛生課の記載がなくなり、同獣医師会とのみ記載されるようになったこと。

(2)  しかしながら、《証拠省略》によれば、以下の事実もまた認められるところである。

(一)  本件注射漏れ通知書の配布は、被告北九州市が同獣医師会との間に締結した本件契約の委託業務中には含まれておらず、したがって、被告獣医師会が開業者部会に一任している業務等の中にも含まれていないのであって、同部会が、狂犬病予防注射業務等の実施を担当していることから、狂犬病予防注射漏れ防止対策として、自らの判断と費用でこれを実施していること。

(二)  被告北九州市が、同市動物管理センターと同市各保健所公衆衛生課の名称を右通知書の発信人として記載することを承諾したことはなく、被告獣医師会が発信人として記載されているのは、開業者部会が同被告内の一部会で法人格を有していないことから、法人格を有し、被告北九州市との間に本件契約を締結している同被告の名称を使用したに過ぎないこと。

(3)  以上の事実を総合すると、本件注射漏れ通知書の表面には被告獣医師会、同北九州市動物管理センター及び同市各保健所公衆衛生課(ただし、昭和五七年秋以降は被告獣医師会のみ)が発信人であるかのように記載されているものの、右通知書の配布は、実際には開業者部会が自らの判断と費用で実施しているものであり、被告北九州市はこれについて何ら関与しておらず、また、同獣医師会も同会が実施する事業としては、これについて何ら関与していないと認められるのであって、開業者部会が本件注射漏れ通知書の配布を行うについて、右通知書の裏面に同部会に所属している開業獣医師の開設する診療所のみを「犬の病院」として記載し、同部会に所属していない原告の開設する門司犬猫病院を記載しなかったことは、右通知書の配布が同部会の判断と費用でなされている同部会固有の事業である以上、いわば当然のことというべきであって、これをもって、被告獣医師会による原告の機能又は活動の不当な制限あるいは原告に対する不合理な差別行為ということができないことは明らかである。

したがって、その余の点について判断するまでもなく、被告北九州市及び同獣医師会が本件注射漏れ通知書の配布を行っており、これが独占禁止法八条一項四号に該当する違法な行為であり、かつ、不合理な差別として公序良俗に違反する行為であることを前提とする原告の被告らに対する請求はいずれも理由がない。

五  結論

以上の次第であるから、原告の被告らに対する本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中貞和 裁判官 村岡泰行 村田渉)

<以下省略>

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